みんとの徒然 読書日記。

徒然日記です。読書日記。

「放蕩記」を途中まで読んで。

2014/11/28 9:08:28

の記事です。




何故私が、途中までしか読んでいない本について書こうと思ったのか。

それは、この本をこの先読み進めるのが
少し怖いから。
発売日、手に取ったこの本を、近くの喫茶店で昼食を摂りながら少し読み進めた。
村山由佳さんの作品は、文庫本になっているものなら読破している。読書は元々好きだけれど、由佳さんの言葉は格別。その言葉たちに私は育てられた。


私が由佳さんの作品に出会ったのは、今から7年程前の小学六年の時だっただろうか。
読むスピードこそ速くはないけれど、とにかく読書が好きだった。(挿絵があるような)子供向け文庫も読んでいたけれど、少しずつ(ほぼ活字の)大人の文庫も読むようになっていたのだと思う。
今でも憶えている。どの本屋のどの棚に『青のフェルマータが置かれていたか。
その本屋は建物ごと取り壊されてしまって今は無いけれど、あの情景が思い出せる。
まず、題に惹かれた。私は音楽をずっとやっていた人間だから、フェルマータという単語に惹かれた。次に、装丁に惹かれた。白い表面に青い海が描かれ、イルカが…。何とも言えない神秘を伴っていた。
そして私は、裏表紙のあらすじを見た。どうやらチェロが出てくるらしい。当時の私にチェロがどのような楽器か、あまり知識は無かったけれど
とにかく、この本を読んでみたいと思った。


読み終えて。
今でこその正直な感想を言えば、あまり中身はわからなかった。男女のなんたるかを知らない小学生が読んだのだから、それもそうだろう。
でも、色の表現が多様で、言葉自体が凄く色鮮やかで、綺麗な海や砂の触り心地が、ありありと想像できた。
私の想像力ではない、何かもっと強烈な力が描くそれは、私をその本にのめり込ませた。


それから私は、由佳さんの作品を『天使の卵』に始まって、文字通り、片っ端から読み漁った。
俗に言うところの官能小説では、小学生中学生の知識じゃ追いつけない部分もあったけれど、そんなことより
巧みな言葉と色彩と、登場する人登場する人、皆が生き生きと、いや…はっきりと意思を持って生きていることが、とても新鮮で、本当に興味が湧いた。



今日まで読んできてやっと放蕩記が文庫化されて
待ってましたと飛びつかんばかりに購入した。


…でも何故だろう。開始20頁程で、私は今日はもうやめようと思った。
喫茶店を出ようと思った。
いつもなら、1時間だって2時間だって読んでいたいとおもうのに、十数分で。


私は、この作品に、打ちのめされていたのだろう。
母と娘の、他者には理解し得ない確執のリアルさと、自分にも当てはまる感情だ、ということに…。



私は幼い頃から、母にいい子と思われようとしていた。怒られるのが怖かった。母のことが大好きだった。
人見知りせず、誰とでも社交的に話ができ、わがままも基本的に言わないし、ほとんど怒られることもない。
そんないい子。
母は、とても私に愛情を注いでくれていたと思うし、今でもそう思う。
周囲の親よりよっぽどちゃんとしてるし、よっぽど知識もあって、意図せずして周囲に認められる母親だということは私にもわかる。決して世間体を気にしているわけではないが、できた母親。
けれど
母にはきっとわからない。
(こういう言い方はしたくないが)娘がどれだけ母親の顔色を伺ってきたのか。
私自身、顔色を伺っているなんて意識は無かった。けれど事実、母を怒らせないようにと思っていたのは否めない。
年を経るうちには、ちょっと悪いことをして怒られたことも沢山ある。
でもそういうことじゃなくて        


私は音楽の道を志している。1年余分に時間を使っている今も、ひとえに母のおかげだと思う。
感謝している。尊敬している。愛している。


けれど


私はいつも、言いようのない壁を覚える。
私のことなど母にはわからない。
どれだけの孤独と我慢を抱えてきたか。
所詮私と母は他者であって、わからないことなど当たり前ではないか。
そうだと思っても、私の苦しみを理解していない母を見ると、ふつふつと音を立てる感情がある。


親にはたかれている子どもや、怒鳴りつけられてる子どもを見るたび、私は幸せなのだと感じる。そうやって育てられては来なかった。きちんとした躾をされて、外に出しても恥ずかしくない娘に育ててもらったと思う。敬語もかなり小さい頃から使えた。親戚を始めとした周りの大人にも
「いい子だねぇ」
「えらいねぇ」
そう言われていた。そうあるべきだと思ったし、それが普通だった。
3歳ごろにやったIQテストのようなもので私は、2歳ほど上の結果が出たらしい。そういうのもあるのかもしれない。小学校は受験をして国立の学校に入学した。
その中では飛び抜けて頭が良かったわけではないけれど、きっと真面目だった。
そうやって育ったからなのか
中学1年まで、人の悪口など絶対に言わなかった。悪口を言ったら、自分に返ってくると信じて疑わなかった。中学で強豪の吹奏楽部に入部してさんざん悪口を言われる側になって、嫌われることに慣れた。その分人を悪く言うことも増えた。どうせ嫌われているのだから構わない、と。


高校では授業もサボったりした。
けれど、教師に楯突くことは無かった
私には無理なのだ
気に入られるように
社交的な笑顔を向ける以外
不幸そうな顔をして
哀れんでもらう以外。




母から受ける影響は大きい。
「放蕩記」をこれから読み進めるにあたって
心しておかなければならない。
わたしはこの本を
読み切らなければならい。
由佳さんが身を削る思いをして書いてくださった一冊を。


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